子どもの補聴器を目立たないように隠したい?|難聴児ママのわたしが隠すべきではないと考える理由
「子どもの補聴器を隠したい」そう思ったことはありませんか。
周りの目が気になる。
かわいそうと思われたくない。
子どもが嫌な思いをしないか不安になる。
その気持ちは、とても自然なものだと思います。わたし自身、難聴児のママとして、同じように悩んできました。でも今のわたしは、子どもの補聴器は隠すべきではないと考えています。それは、きれいごとでも、強がりでもありません。
将来、難聴児が健聴の人たちの中で生きていく現実と、親として子どもに身につけてほしい力を考えた結果です。
この記事では、なぜ「子どもの補聴器を隠したい」と思ってしまうのか。
それでもわたしが「隠すべきではない」と考える理由。そして、その考えに至るまでの体験について書いていきます。今まさに悩んでいる方にとって、考えるきっかけのひとつになれば嬉しいです。
- 補聴器を隠しても、聞こえる子のように聞こえるようにはならない
- 見えているからこそ、周囲に気づいてもらえ、配慮につながる
- 補聴器は、子どもが自分らしく生きるための大切なサポート
補聴器を「隠したい」と思う気持ちは、自然なもの

子どもが補聴器をつけている姿を見て、ふと「できれば目立たない方がいいのかな」と思ってしまう。それは、決しておかしな感情ではありません。
- 周りからどう見られるのか気になる
- 「かわいそう」と思われたくない
- 子どもが傷つく場面を、できるだけ減らしたい
こうした気持ちは、子どもを守りたいという親心から生まれるものです。特に、難聴がわかったばかりの頃や、補聴器をつけ始めたばかりの時期は、気持ちの整理が追いつかないことも少なくありません。
わたしもそうでした。だから、長女とうこの補聴器を選んだ時、目立たない色がいいと、黒い本体と透明のイヤーモールドを選んだのです。
親の気持ちが追いつかないこともある
子どもの成長は待ってくれません。
検査、診断、補聴器、療育…。次々に決断を迫られる中で、親の心が置いていかれることもあります。
「受け入れなきゃ」と頭ではわかっていても、気持ちが追いつかない。その中で「隠したい」と思うのは、むしろ自然なことだとわたしは思います。
なぜなら、子どもの障害を受け入れるには、かなりの時間を要するからです。子どもの障害の受容については、こちらの記事で解説しています。

「隠したい」は、否定される感情ではない
「補聴器を隠したい」と思うことは、愛情が足りないからでも、子どもを否定しているからでもありません。それは、親自身が、まだ向き合っている途中だというサインでもあります。
だからこの気持ちは、無理に押し込めたり、早く手放そうとしなくていいのです。
それでも、考えてほしいことがある
ただひとつだけ、この段階で立ち止まって考えてほしいことがあります。それは、「隠すことで、誰が守られているのか」ということ。
わたし自身、こうした気持ちを抱えながらも、次第に「隠す」ことが本当に子どものためになるのか、考えるようになりました。
だから私は、補聴器は隠すべきではないと思っている

少し踏み込んだ話をします。
わたしは、子どもの補聴器は隠すべきではないと考えています。それは「強くなれ」と言いたいからでも、「気にするな」と言いたいからでもありません。
理由は、とてもシンプルです。
難聴児は、将来“聞こえる人たちの中”で生きていく
難聴児は、ろう児とは違い、将来、多くの場合は健聴の人たちに囲まれた環境で生活し、働いていきます。
学校も、職場も、地域も。周りは「聞こえる人」が多数派です。そこにわたしたち親の助けはありません。
だからこそ必要になるのが、次のようなことを自分の言葉で伝える力です。
- 私は聞こえにくい
- だから、ここが少し困る
- こうしてもらえると助かる
- その分、私はここを頑張る
こうしたことを、小さい頃から自分の言葉で伝える力をつけさせなければいけないと、私は思っています。
「聞こえる子に見せること」はゴールじゃない
補聴器を隠せば、一見すると「聞こえる子」のように見えるかもしれません。でも、見た目がそう見えることと、実際に聞こえることは別です。
難聴がある以上、次のような特性は変わりません。
- 雑音の中では聞き取りにくい
- 複数人の会話は追いづらい
- 距離や話し方の影響を受けやすい
だからわたしが目指したいのは、「聞こえる子のように見せること」ではなく、『聞こえにくさがあっても、安心して過ごせること』。ここが、とても大事なポイントです。
この考え方は、「聞こえる」と「わかる」は違う、という聞こえのゴールの話にもつながっていきます。聞こえのゴールについては、こちらの記事で解説しています。

補聴器は、弱さの印じゃない
補聴器は、「隠さないといけないもの」「できないことの印」ではありません。聞こえにくさを補い、社会とつながるための道具です。
補聴器が周りに見えることで、次のような場面が確実に増えていきます。
- 周りが気づける
- 声のかけ方を工夫できる
- すれ違いが減る
わたしは、補聴器を隠すよりも、補聴器を前提に関係を作れる環境の方が、ずっと生きやすいと思っています。ただ、そのためには「補聴器の存在に周りが気づけること」が必要になります。
補聴器を隠しても、聞こえる子のようには聞こえない
また、これは、少しだけ現実的な話です。
補聴器をつけると、音は確かに届きやすくなります。でもそれは、「聞こえる子と同じように聞こえる」という意味ではありません。
補聴器は魔法の道具ではないからです。
見た目が「普通」でも、聞こえ方は違う
補聴器を隠すと、見た目は「聞こえる子」のように見えることがあります。でも、聞こえ方そのものが健聴の子と同じになるわけではありません。
でも実際には、次のような難聴の特性は、そのまま残ります。
- 雑音が多い場所では聞き取りにくい
- 複数人の会話は追いづらい
- 話す人との距離や向きに影響されやすい
つまり、見た目だけが「聞こえる子」になって、中身は難聴児のままという状態が起きてしまうのです。
いちばん大変なのは「わかってもらえない」こと
補聴器を隠していると、周りは「聞こえにくい」と気づきません。すると、次のようなすれ違いが起こりやすくなります。
- 聞き返すと不思議がられる
- 指示が伝わらないと誤解される
- 本人の努力不足のように受け取られる
これは、「聞こえにくいこと」そのものよりも、ずっとしんどいと感じる場面が多いです。
隠さないほうが、楽になることもある
補聴器が周りに見えていることで、次のようなことが起きます。
- 周りが配慮しやすくなる
- 説明しなくていい場面が増える
- 本人が頑張りすぎなくてすむ
その結果として、子ども自身が楽になることも多いです。わたしはこれを、何度も実感してきました。
配慮は「気づいてもらえてはじめて届くもの」です。
見えないと、配慮は届かない
少し視点を、子ども個人からまわりとの関係に移します。配慮とは、「優しさ」や「気づかい」以前に、気づいてもらえてはじめて成立するものです。
気づかれなければ、配慮はできない
補聴器を隠していると、周りはこう思います。
- 普通に聞こえている
- みんなと同じように理解できている
- 特別な配慮は必要ない
その前提で関わられると、聞き取りにくさがある子は、自分だけが必死に合わせる側になってしまいます。
配慮は「甘え」じゃない
聞こえにくさがあることを伝え、環境を少し整えてもらうことは、甘えでも、特別扱いでもありません。
- 近くで話してもらう
- 顔を見て話してもらう
- 大事なことはもう一度確認する
こうした配慮があるだけで、子どもはぐっと楽になります。
この考え方は、合理的配慮という考え方にもつながります。合理的配慮については、こちらの記事で解説しています。

「頑張らせる」より、「気づける環境」を
補聴器を隠してしまうと、困っていることを周りに説明する機会そのものが減ってしまいます。でも、補聴器が見えていれば、次のように周りが一歩立ち止まれるきっかけが生まれます。
- あ、聞こえにくいのかな
- 声のかけ方を変えよう
- ちゃんと伝わっているか確認しよう
わたしは、子どもに無理をさせ続けるより、周りに気づいてもらえる環境をつくる方が、ずっと大切だと思っています。そして、補聴器が「見えている」ことで生まれるのは、配慮だけではありません。
補聴器に向けられる視線は、私が思っていたものと違った

長女とうこが、生後6か月の頃のことです。補聴器をつけ始めたばかりで、抱っこ紐に入れて買い物をしていました。
レジ待ちの列に並んでいると、横にいた年配の女性が、チラチラととうこを見ているのに気づきました。正直、そのときわたしは少し身構えていました。
「補聴器、見られてるのかな」
「かわいそう、と言われるのかな」
そんなふうに考えてしまったんです。
かけられた言葉は、想像とまったく違った
その方は、少し迷うようにしてから声をかけてきました。

お耳にはめているものはイヤホン?
わたしは一瞬考えてから、こう答えました。

補聴器です。
この子は難聴なので…。
すると、その方はこう言ったのです。

あら、そうなの。
今はこんなに小さい頃から、そんな支援が受けられるのね。
とても素敵ね。
かわいい赤ちゃん、よかったわね。
お母さんのおかげよ。
わたしは、本当に驚きました。
世界は、思っていたより優しかった
その瞬間、胸の奥がすっと軽くなったのを覚えています。
補聴器に向けられる視線は、「かわいそう」という目だと、わたしはどこかで決めつけていました。
でも、そうじゃなかった。あのとき向けられていたのは、哀れみではなく、安心と肯定のまなざしだったのだと思います。
今なら、その視線の意味がわかる
今のわたしなら、よくわかります。もし街で、補聴器をつけている子を見かけたら、わたしもきっと、同じように見てしまうと思います。

うちの子と同じ、難聴っ子だ!
それは、かわいそうだから見るのではなく、仲間を見つけたような気持ちです。この年配の女性との出来事きっかけに、世の中にはそんな風にあたたかい視線があることを知れたのです。
補聴器は「隠すもの」ではなく、自分を伝えるきっかけ

今、とうこが使っている補聴器は水色。イヤーモールドは黄色です。この色は、入学前に補聴器を買い替えたとき、とうこ自身が選びました。

これがいい!水色と黄色にする!
そう言って選んだ、お気に入りの色です。
自信を持ってつけられることも、大事な支援
補聴器は、ただ聞こえを補うための道具ではありません。毎日、身につけるものです。
だからこそ、「自分で選んだ」「好きな色」「つけていて嫌じゃない」。この感覚は、とても大切だと思っています。
補聴器を「隠すもの」にするより、自分の一部として自然に身につけられること。それは、子どもの自己肯定感にもつながっていきます。
ちなみに、黒い補聴器は見つからない
これは少し余談ですが。黒い補聴器って、落としたときに本当に見つからないんです。笑
床に落ちると同化する。カバンの中でも行方不明になる。
水色や黄色は、とにかく見つけやすい。この「見つけやすさ」も、日常ではかなり大事なポイントだったりします。笑
見えているからこそ、伝えられることがある
補聴器が周りに見えていることで、次のような場面が少しずつ増えていきました。
- 聞こえにくいことを説明しやすい
- 周りが気づきやすい
- 会話のきっかけが生まれる
補聴器は、「弱さの印」ではありません。自分の特性を伝えるための、ひとつの手段です。ただ、こうした選択ができるようになるまでには、わたしたち親の側にも、時間が必要でした。
子どもが難聴児であることを、親が受け入れるまで
子どもが難聴児であることを受け入れるには、時間がかかることもあります。それは、特別なことではありません。
親だって、急には気持ちが追いつかない。わたし自身も、最初からすべてを受け入れられていたわけではありませんでした。
「かわいそう」と思われるのが怖かった理由
補聴器を隠したいと思っていた頃、わたしはずっと、周りの視線を気にしていました。
「かわいそうって思われるんじゃないか」
「普通じゃないって見られるんじゃないか」
でも今振り返ると、その視線を一番怖がっていたのは、わたし自身だったのかもしれません。
気づいたのは、見方が変わった瞬間
先ほど述べた年配の女性との出会いをきっかけに、わたしははっとしました。もしかしたらわたしは、「障害がある=かわいそう」という見方を、無意識のうちに自分がしていたのではないか。
世界が冷たいのではなく、自分の見方が、まだ追いついていなかった。そう気づいたとき、心の中で何かがほどけた気がしました。
受け入れることは、割り切ることじゃない
受け入れる、というと
「前向きにならなきゃ」
「強くならなきゃ」
そんなふうに思われがちですが、わたしはそうは思っていません。
- 迷いながら
- 揺れながら
- 時間をかけて
少しずつでいい。
受け入れることは、何かを諦めることではなく、現実を土台にして、選択できるようになることだと思っています。
親が変わると、見える景色も変わる
親の見方が変わると、子どもを見る目も、社会を見る目も、変わってきます。補聴器は、隠さなければいけないものではなく、子どもが自分らしく生きるための一部。
そう思えるようになってから、わたしはずっと、気持ちが楽になりました。
まとめ
子どもの補聴器を「隠したいな」って思ってしまう気持ち。それ自体は、ぜんぜん悪いことじゃないと思います。
そして、もしこれを読んでいるあなたがすでに子どもの補聴器の色選びで黒を選んでいたとしても、黒い補聴器を選んだことを、後悔しなくて大丈夫です。
黒が好きな子もいます。
大人っぽくて、かっこいい色でもあります。
「その色いいね」「かっこいいね」って、いくらでも前向きに声をかけられる。
どんな色を選んでも、それはその時の親と子の、ちゃんとした選択です。
もしこの記事を読んで、「補聴器を隠すんじゃなくて、目立たせる方法ってないのかな?」と思った人がいたら、補聴器カバーや、補聴器ストラップという選択肢もあります。とうこも、そらも、4歳くらいまではほぼ必須アイテムでした。
かわいいカバーをつけたり、ストラップで落下防止をしたり。それだけで、補聴器は「気になるもの」から「自分のもの」に変わっていきます。
補聴器を隠すか、隠さないか。正解はひとつじゃありません。
でもわたしは、隠さないという選択も、ちゃんと優しい選択だと思っています。
補聴器を隠しても、聞こえる子になるわけじゃない。だったら、聞こえにくさがある前提で、周りとつながれるほうが、ずっと楽。
世界は、わたしたちが思っているより、意外とやさしい。
もし今、「子どもの補聴器の色どうしようかな」って迷っていたら、今日すぐ答えを出さなくても大丈夫。少しずつ、その子に合った形を見つけていけばいい。
この話が、どこかの誰かの気持ちをほんの少し軽くできたら、嬉しいです。
